About me
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私について
「カウンセリングしてくれるのはどんな人か?」
そんな疑問や不安をお持ちの方向けに。
ワーカーホリックだった私がどのように変化し、
現在のキャリアスタイルに至ったのか。
これまでの道のりや想いをご紹介いたします。
大切なものを大切にできる
「生き方」「働き方」を応援したい
残業も当たり前、仕事一筋の生活
当時では珍しい育児と仕事の両立していた公務員の母の姿を見て育ったこともあり、できれば女性でも働き続けられる会社で働きたいと就活。
出てくる社員がみんな口を揃えて『うちの会社はいい!』と絶賛し、学歴関係なく女性も活躍し働ける人材紹介会社リクルートエージェント(現在リクルート)に新卒で入社しました。
25歳のとき、東京と関西の会社合併により東京転勤に。
もともと「だれかの人生に影響を与える仕事をしたい」と入社したので、26歳でキャリアアドバイザーになったときはとても嬉しかったです。
それから月100時間の残業は当たり前。目標も高くプレッシャーも大きかったのですが、転職をする選択肢は浮かびませんでした。
そして、33歳で管理職となり、自分よりも年上の部下をもったことで、ちゃんとマネジメントしなければ、とより一層仕事に打ち込むように。
しかし、2年程たったある日、身体に限界がきて40度の高熱が下がらなくなってしまったのです。
入院中も先生に「いつ仕事に行けますか?」と聞くほど頭は仕事のことでいっぱい。
初めての休職でした。この出来事がきっかけで、改めて今後の働き方について考えるようになります。
新たなやりがいを見つけた、女将の仕事
そんなタイミングで、新しい組織での話が舞い込みます。
当時、会社は年間300人ペースで社員が増えていくような状況で、急拡大によって社内のコミュニケーションがうまく機能しなくなっていたのです。
そんな状況を改善すべく、新たな秘密組織が立ち上がったのでした。メンバーは、もともと活動をしていた店主の上司、女将の私とスタッフの3人。
人事でもない、どこの部署にも属さない立ち位置で、現場の声を拾ったり、社内の人と人をつなぐ風土をつくる仕事に携わることに。
時には半被を着て、会議室をお祭りのように演出してイベントを開催したり、社外の方やベテラン社員、いろいろな部署の人も巻き込んで、斜めの関係性をつくる。
そんな人と人がつながることで、その人らしさを取り戻し、エンジンを燃やしながら自走できるサポートをすることにとてもやりがいを感じました。
37歳、外に出て見えたもの
そして、37歳の時にまたしても大きな転機が訪れます。
リクルートの再就職支援会社に2年の期限付きで応援出向に行くことになりました。そこで、初めて自分の感覚が普通ではないことに気付いたのです。
それまでずっと22時頃まで残業するのは当たり前。定時に帰宅するのは年に数回、特別なイベントがある時くらいでした。
ところが、19時過ぎに電話をすると、「まだ仕事してるの?」と言われ、定時に帰宅してお風呂に入ってちゃんと生活をしている人たちをみて、これまで自分が当たり前だと思っていたことが当たり前ではないことに気付きます。
結婚したばかりの時は、子どもはいつでも持てると思っていたけれど、「いつまでも若くはないんだな、子どもがほしい」そんな想いが芽生えました。
さらにそんなタイミングで、3.11の東日本大震災が起き、
「本当にやりたいことをやらずに、人生を終えていいのだろうか」
という気持ちが大きくなり、何も決まっていないのに心の声に従って、退職を決意しました。
相互理解から、
女性が幸せに働くことを応援したい
退職をしてからは、小さくなっていた「自分軸」を育てる日々。
今までやってこなかった「暮らし」を大切にしながら、フリーランスとして「働き方」もチャレンジしてきました。
不妊治療を経て、40代で妊娠出産。
0歳児で認可保育園に入園して、本格的に仕事を再開。
育児と仕事の両立をワンオペでやる過酷な現実にぶつかります。
試行錯誤をする日々の中で、両立期のキャリアにおいて「チーム育児」の大切さを実感。
家族や働く人との相互理解で、臨機応変にキャリアをつくっていく「ファミリーキャリア」を通じ、女性が幸せに働くことを応援したい。
今はそんな自分の経験や、企業での研修経験を通じて、ひとりひとりが自分らしく幸せになるキャリアの支援をしています。
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